© 中村 航 Wataru Nakamura

SIGMA sd Quattro インプレッション Vol.03

さて、2回にわたってsd Quattroの持つ力を検証してきた。最後となる今回、どうしても確かめておきたかったことがある。それはSD1 Merrillの頃にはまだ整っていなかった環境、つまり現在の充実したレンズラインアップと組み合わせると、どれだけの画を実現してくれるのかということだ。このページを見る皆さんならすでにご存じだと思うが、シグマはレンズのMTF測定器にFoveonセンサーを搭載しており、リリースされるレンズはすべてこの診断を受けている。Foveonセンサー以外の方式のセンサーであれば、この設計基準で作られるレンズは猛烈な高画素化へと進まない限りオーバークオリティだろう。しかし同じセンサーを搭載するカメラである以上、そこに妥協は許されない。正直なところ、sd Quattro以前は、絞り開放で使うのは難しいことが多かった。もともとその場の状況を臨場感豊かに写すことに長けているFoveonセンサーだが、そこには「ツボにはまれば」という注釈が必要だったのは事実だ。誤解を恐れずに言うなら、雑味が多く、コントロールが難しかった。dpシリーズでセンサーがQuattro世代になって、これが随分こなれてきた印象だ。色や階調再現の良さは相変わらずだが、現像ソフトを操作していても、いつの間にか迷路に入り込んで途方に暮れることがなくなった。つまり撮ったままでニュートラルな画作りとなったのである。これに、諸収差が徹底的に取り除かれ、クリアな画を結ぶ新プロダクトラインのレンズ群を組み合わせるとどのような表現をしてくれるのか。今回のテーマは「光」。開放で、光そのものを捉えてみたい。

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© 中村 航 Wataru Nakamura
© 中村 航 Wataru Nakamura

クリアな光をそのままに捉える力

クリアな光を再現するために必要な要件とはなんだろう。まずレンズのヌケがよいこと。そのためには開放から諸収差がよく抑え込まれている必要がある。レンズ・カメラともに解像力が必要だ。そしてなにより階調が豊富であること。これがなければコントラストもつけられない。新プロダクトラインのレンズとQuattro世代のセンサーを組み合わせると、まずクリアな光を捉えるのが面白いだろうと感じたが、案の定だった。

上・左)使用レンズはSIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM | Art。シグマらしい実に魅力的なズームレンズ。開放から文句のつけようがない描写だ。アウトフォーカスとなる親子にも立体感がある。美しいぼけ味だ。そしてピントピークの描写にも曖昧さが微塵も感じられない。

© 中村 航 Wataru Nakamura

光がすべてを作る。階調や解像力、すべて光を捉えることで生まれる概念だ。カメラとレンズが組み合わされて、そのパッケージとしての能力の高さが、光の再現度の高さに直結する。これがどう再現されるのかが全てといってよい。紡がれる画は「リアル」だ。

© 中村 航 Wataru Nakamura

光をリアルに捉えられるからこその臨場感

現場をリアルに持ち帰ることができるか、撮影者の興味はまずそこにある。

© 岩木 十三 Juzo Iwaki
© 中村 航 Wataru Nakamura

空気中のヘイズ、そして人を押しのけ、すべてのやる気を奪い去るかのような強烈な西日。「こう写って欲しい」を見事に実現してくれた。

© 中村 航 Wataru Nakamura

おぼつかない光の中で、物の輪郭はかえって浮き彫りになることが多い。螺旋階段は日没直前の衰えた光、暖炉で使う道具は、朝の日差しに辿り着く前の光だ。

© 中村 航 Wataru Nakamura
© 中村 航 Wataru Nakamura

外は冷たい雨、高原地では7月初旬にも関わらず暖炉の火が必要だった。sd Quattroは光の温度が写る。そして、知る限りもっとも炎が炎らしく撮れるカメラだ。

© 中村 航 Wataru Nakamura
© 中村 航 Wataru Nakamura

光から我々が感じる印象を捉える

我々は光の具合からいろいろなことを感じる。心地よさを感じることもあれば、感傷的になることもある。この光の再現力があれば、「光に載るもの」それ自体をフレームできる。

© 岩木 十三 Juzo Iwaki

強い光をそのまま感じるだけではない。言葉遊びではないが、そこにためらいの影を感じることもある。どう感じたか。その結果が写真だとすれば、sd Quattroは、どう感じたかを再現することに専念させてくれる。

© 中村 航 Wataru Nakamura

ヌケの悪い空気はそのまま再現される。湿度が高く、遠くが霞む日の入り。

© 中村 航 Wataru Nakamura

ポジフィルムのような、写りの気持ちよさがありながら、脚色はない。その場のシーンをストレートに写し込む。すべては撮り手次第のカメラだ。光と戯れたければ、それをもっとも手助けしてくれるカメラだろうと思う。

あとがき

初代であるSD9からsd Quattroまですべてを所有し、使用してきた。その理由は単純明快。数あるデジタルカメラの中でもFoveonセンサーを搭載するカメラの作る画が、最も心を揺さぶるからである。初代からSD10あたりは、その解像力と線の細い緻密な描写に夢中になった。ピクセル等倍で鑑賞しては驚き、ともかく”写る”ことに興奮した。SD14/SD15では、他にない階調特性や色味に魅力を感じるようになった。そしてSD1で、画の圧倒的な臨場感に驚かされた。おそらくセンサーサイズが若干大きくなったことで、色数が増え、階調表現が豊かになったからだろう。SD1 Merrill 以前は単にデバイスとしての潜在能力に魅せられていたところが大きい。SD1で自分の写真表現に大きなイノベーションそしてモチベーションを与えてくれると実感した。そして、sd Quattroはレンズを含めてシステム的な完成度も格段に上がった。かつてのどう転ぶかわからない危うさは影を潜め、撮り手の意志に忠実に応えてくれる。試しに、一度徹底的に使い込んでみて、それから他のカメラを使ってみて欲しい。sd Quattroの画が頭から離れないはずだ。これ以上の説明は不要だろう。あとはご自身で確かめて欲しい。

文:中村 航
撮影:中村 航 / 岩木 十三