

14mm F1.8 DG HSM | Art Impression
ちょっと星を撮りに
「えー、今回お願いしたいのはコレなんですが・・」と言いながらシグマの担当者がテーブルの上に置いたのは、14mmの単焦点レンズだった。恐る恐る手に取る。大きい。重い。存在感が半端ない。それもそのはず、この焦点距離で開放F1.8という驚異のスピードレンズなのだ。その巨大な前玉を眺めながら「はあー」としか声が出ない。「これで何を撮るんですかね?みなさん」やっと我に返って訊く。「うーん、星とか」「あーなるほど!星ですね」と、さも星なら撮り慣れてますんで風の返事をしたものの、実は星をきちんと撮ったことは無い。星かあ。
というわけで、星の写真を撮ることになった。ひとくちに星の写真と言ってもいろいろあるが、何せこの場合は使うレンズが決まっている。要は「このレンズを使えば、星の写真を撮ったことがない私でも(ということはつまり誰でも)こんなにキレイに撮れますよ」ということが伝わればいいわけで、今回は気楽に構えることにする。赤道儀なんていう難しいものはもちろん使わない(使えない)から、「このレンズを使った場合に、星が止まって見えるシャッタースピードを確保できるISO感度はどのぐらいか?」というのがお題。あとはこの画角を生かして地上の構造物や風景をどう構図として取り入れるか。ま、あとは現地に行ってから考えよう。
向かったのは長野県の長和町。スターウォッチャーたちの聖地らしい。時刻は日付が変わる頃。だいたいこのへんかなあ、という場所に三脚を設置したら(と簡単に書いているけれど、あたりは文字通り漆黒の闇。明かりはご法度なので、車を降りてからポイントに辿り着くまでが大変)、さっそく実験開始。まずは星が止まって見える最長のシャッタースピードを探る。もちろんISO感度をできるだけ下げたいからだ。試してみると、30秒では明らかに星が動いているが、15秒では(かろうじて)止まって見える。焦点距離14mmでは、どうやらここが境目みたい。これで絞り=F1.8、シャッタースピード=15秒という固定パラメータが得られた。次にISO感度をいろいろ動かしながら写りを比較してみると、ISO 800から1600というのが適当であるように思われた。
たかだかISO 800〜1600でここまで写るのだ。これって、もしかしてすごいことではないのか。これが開放F4のレンズだったらどうだろう。同じ露出を得るためには6400にまで跳ね上がる。F2.8でも3200だ。ISO感度を上げることが写真の出来ばえに及ぼす影響については、今さら説明の必要もないと思う。「一段明るい」って、偉大だ。
14mmの画角をしゃぶりつくす
この画角なら、眼前にある光景をまるごと取り込むことができる。大胆に。ダイナミックに。なにしろキャッチコピーは「異次元の視覚体験」なのだ。もちろん広けりゃいいっていうものではない。真っ直ぐであって欲しいものが微妙に歪んだり、あるいはボディ内補正が前提だったりしちゃあ、それだけでやる気が削がれるというものだが、その点、さすがはArtラインのレンズだ。とは言え、写る範囲が広いからカメラを真面目に構えるだけでは間の抜けた、つまらない絵になったりもするが、それはもうレンズのせいではない。真面目にやって発生した問題は、不真面目にやると解決する。思いっきり傾けたって、その橋の一番特徴的な部分を隠したって、誰も文句は言うまい。
単焦点レンズだから、フレームの中で被写体をどのぐらいの大きさに見せるかは、つまり自分の肉体をどこに置くかという問題。超広角レンズが頼もしいのは、被写体を大きく見せつつも、その周りに「状況」を入れられること。被写体の、周囲との関係性をどう画面に取り込むか。ばっちり説明しちゃうも良し。ほのめかすだけにしてあとは見る人に想像させるも良し。あるいはぐっと近寄って一切の説明を排除したって構わない。まさに自由自在。そして、その違いはほんの数歩。それにしても、被写体に正対して水平垂直に気をつけさえすれば、まるで標準レンズのような素直な写りだなあと、寄りの絵を見て思う。
余白を思いっきりとって、被写体をまんなかに「ぽつん」と置く構図もこの画角ならでは。被写体の見かけ上の小ささが、逆に注意を惹かせる構図。中心から入って、やがて外側へと視線が移動していく構図。こうなると、20mm台ではもはやインパクト不足。「ぽつん感」が出ない。画面整理が難しくなるので、意外とシチュエーションを選びますけどね。
暗いところだけではない。超広角らしからぬ、大きなボケもF1.8の恩恵。しかもこのレンズ、開放だとなかなかワイルドなボケが楽しめる。一粒で二度も三度も美味しい。レンズは道具。使い方によって、いろいろな顔を見せてくれた方がありがたい。使う人間様の方がよっぽど不器用なんだし、そこを助けてもらえるのは心強い。
既視感。デ・ジャヴと言ったりもする。遠くまで広がる雄大な景色の中、敢えて絞り開放で近くのものにピントを合わせる。ピントを合わせた部分がふっと浮き上がり、何かを語り始める。開放ならではの周辺減光が、それを後押しする。「この景色、いつか見た気がする」「小さい頃、父親に連れられてきたかもしれない」。しかし、それは思い違いだ。そんな事実はない。でも、そんなことはどうでもいい。「ああ、なんだか懐かしい」。身も蓋もない言い方をすれば写真は単なる「記録」だが、そんなふうに自分の不確かな記憶と説明のつかないリンクをすることがある。それもまた、写真の為せるわざ。