第205回:琉球王国と沖縄戦跡を訪ねて
押本 龍一

押本龍一、東京品川生まれ。
82年英語の勉強のため2年の予定で渡米。84年ニューヨークに渡り刺激を受け予定を変更、広告写真スタジオで働き始める。91年フォトグラファーとして独立。95年ニューヨークからロサンゼルスに拠点を移し現在に至る。エンターテインメント関係の撮影中心。近年はライフワークである旅写真に力を入れている。趣味は旅と山歩き。

オフィシャルサイト : http://oshimoto.net/

第205回:琉球王国と沖縄跡

沖縄本島最南端の荒崎海岸は、米軍の砲丸が飛び交い多くの犠牲者を出し、悲惨な沖縄戦の歴史が刻まれている。この日は高温多湿で遠くの景色が霞み、穏やかな海岸には数人の釣り人の姿があるだけで、不思議な落ち着きと静けさが漂っていた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F9.0 | 焦点距離:35mm

梅雨だったが雨に降られることもなく、沖縄県南城市にある琉球王国最高の聖地といわれる斎場御嶽(セーファウタキ)を訪れた。駐車場に車を停め入場券を買い御嶽の入り口まで約400mを歩き、入り口で聖地について短いムービーを観て御嶽内に入った。斎場御嶽内には六つのイビ(神域)があり、その中でも大庫理(ウフグーイ)、寄満(ユンイチ)、三庫理(サングーイ)は、琉球王国の王城であった首里城にある建物や部屋と同じ名前を持ち、琉球王国時代には国家的な繋がりの強い聖地だった。御嶽内は聖地らしい落ち着いた雰囲気が漂い、殆どの人はゆっくりと観察するように歩いていたが、外国から訪れている子供連れのグループが騒ぎ立てていたのが気になった。2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとしてユネスコの世界遺産リストに登録された斎場御嶽は外国人観光客も増えているが、全ての訪問者に祈りを捧げる聖地だと理解させるのは易しいことではないようだ。

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御嶽内に入り上って行くと左手に大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる拝所が現れる。ここは一番座とか大広間という意味があり、前面に平らな石が敷き詰められた祈りの場(ウナー)があり、ここに座ると巨岩と一体感が生まれる。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:色温度指定 | シャッター速度:0.5 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
ファイルサイズ:37.66MB

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木漏れ日が美しい斎場御嶽内はジャングルを探検しているような感じがする。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/5 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:22.38MB

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巨岩と亜熱帯植物は神秘的な空間をつくりだしている。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/4 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:17mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:21.16MB

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寄満(ユンイチ)。琉球王朝では台所の意味。首里城内では国王のために食事を作る厨房と同じ名前。貿易の盛んであった琉球では「豊穣の満ち満ちた所」と解釈される。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/8 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:22.48MB

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暗い森の中、木漏れ日が岩に差し込んでいた明暗の差が激しい光景だった。カメラを三脚に固定し、一回のレリーズで7枚の露出の異なる画像を得られるSFD(Super Fine Detail)モードで撮影し、ダイナミックレンジが広い画像を生成した。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:SFDモード | 絞り値:SFDモード | 焦点距離:25mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:19.30MB

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斎場御嶽(セーファウタキ)で最もポピュラーな三庫理(サングーイ)。鍾乳石の間の三角形の空間の向こうは拝所で、そこから東の海には神の島と言われる久高島が望める。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/8 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降り立ったと伝えられ、琉球時代には神事が行われた久高島を斎場御嶽から望み、久高島と繋がったような気になる。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-35mm F2 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:35mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:16.03MB

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鍾乳石から垂れて壺にたまった水は聖なる水とされ、各種の儀式に使われる霊水として使用されてきた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/15秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:105mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:17.65MB

斎場御嶽(セーファウタキ)を訪れた翌日は首里城に立ち寄ったが、人気スポットで訪問客も多く時間も限られていたので本殿には入らずこの日はすぐ退散した。その翌日、前日に本殿に入らなかったことが悔やまれ、夕方に少しだけ時間を作って再び首里城を訪れてみた。1879年の春、首里城から国王が追放され琉球王国が滅亡し日本国の沖縄県となった後、首里城は日本軍の駐屯地や学校等に使用され1945年沖縄戦で全焼した。18世紀以降をモデルとして復元された首里城はこの時本殿の正面が修繕中だったが、やはり一見の価値はあった。

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案内書から歩くと最初に潜る門の「守礼門」。守礼(しゅれい)とは礼節を守るという意味。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/400秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:62mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:23.12MB

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首里城の城郭内へ入る第一の正門の歓会門(かんかいもん)。歓会(かんかい)とは歓迎するという意味。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/400秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:105mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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守礼門と歓会門の間にあり、国王が外出する際に安全祈願をした礼拝所である園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。沖縄戦で一部が崩壊した後復元され、2000年に世界遺産へ登録された。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:68mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:22.54MB

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漏刻門(ろうこくもん)。漏刻(ろうこく)とは中国語で「水時計」という意味で、門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置して水が漏れる量で時間を測り太鼓で時刻を知らせた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:31mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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正殿正面側は、漆の塗り直し等の作業中だったが、国王の象徴だった龍の装飾がはっきりと見られた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:105mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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首里城の西に位置し、琉球王国の第二尚氏王統(だいにしょうしおうとう)の歴代国王が葬られている墓である玉陵(たまうどぅん)にも立ち寄った。玉陵内に入ると一人の男性が静かに見学していたが、その男性もすぐにいなくなり私はその場を独占した。玉陵は1501年に尚真王(しょうしんおう)が父尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するために築き、その後、第二尚氏王統の陵墓となった。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、東室は洗骨後の王と王妃、西室にその他の限られた王族が納められた。玉陵は沖縄戦で被害を受けたが、1974年から3年余りにわたり修復工事が行われ、2000年12月には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。

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簡単に近寄りがたい場所として撮影したかったので、玉陵に祈りを捧げる場所の後方に立った。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/160秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:28mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:20.23MB

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入り口が低く腰を落として玉陵内に入る。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/160 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:38mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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王と王妃が納められている東室の周辺は厳かな空気感が漂っていたが、上部の直立したシーサのユーモラスな表情はこの場の空気を和ませていた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:62mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
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首里城と玉陵を見学し琉球王国が少し身近に感じられた翌日、沖縄本島の南部にある「ひめゆりの塔」を訪れた。塔自体はイメージしていたものより小さく、壕入り口後方の戦没者の名前が刻まれている白い慰霊碑の方に大きな存在感を感じた。私はここを訪れる多くの人と同じように献花を購入し慰霊碑前に花を供え、「ひめゆり平和祈念資料館」を見学した。沖縄戦末期の悲惨さは、実際にこの場に来てはじめて知ったことばかりだった。ひめゆり学徒隊とは、1944年12月に沖縄県で日本軍が中心とした看護訓練により作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された隊の名前だ。ひめゆり学徒隊以外にも、白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊の8つの学徒隊が存在した。

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沖縄戦末期、沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕跡。この壕にはひめゆり学徒を含む病院関係者や住人約100名がいたが、解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて80人余りが亡くなった。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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1945年3月23日、ひめゆり学徒隊は横穴壕の土壁に2段ベッドを備え付けた沖縄陸軍病院(南風原陸軍病院)に動員された。動員は強制ではなく志願だったようだが、敗戦が迫った6月18日に軍から解散命令が出され、ひめゆり学徒隊は行き場を求め、翌日の6月19日から約1週間の間に多数の犠牲を出し、教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人が集団自決したとされる荒崎海岸にある「ひめゆり学徒隊散華の跡」にも立ち寄った。砂糖キビ畑の間を走り行き止まりで車を停め、生い茂る草の間の小道を歩いて行くと荒崎海岸に出た。暑さと湿気が厳しい海岸は遠くの景色が霞んで見え、数名の釣り人がいるだけで静まり返っていた。海岸はサンゴ礁が隆起(隆起サンゴ礁)したゴツゴツした灰色の岩で覆われ、ビーチサンダルだと簡単に穴が空いてしまいそうな厳しい地形だ。

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ハブに注意して狭い小道を歩き荒崎海岸へ。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/200 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:24.16MB

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隆起サンゴ礁に階段が設けられていたので、「ひめゆり学徒隊散華の跡」まで迷わず行けた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 14-24mm F2.8 DG HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:14mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
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逃げ場を失った学徒たちが自決した壕までは、隆起サンゴ礁が続き歩くのも大変な場所だ。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F9.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:24.10MB

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ここにお花を持って来なかったのが悔やまれたが、献花する台の後ろに赤いハイビスカスがひとつ咲いていた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F9.0 | 焦点距離:46mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
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沖縄本島の南端へ行った翌日は朝から非常に蒸し暑かったが、普天間基地にとまるオスプレイが見える嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)へ行ってみた。汗をかきながら急な階段を登り切ると地球儀をイメージした展望台があり、上ってみると高温多湿で霞んで見える普天間基地に確かにオスプレイがとまっていた。そして展望台には双眼鏡等多くの機材を持ち込んでオスプレイを観察しているひとりの男性がいた。公園内には日本軍が使用した「トーチカ」や慰霊碑があるが、嘉数高台周辺は沖縄戦で1945年4月8日から16日間の「嘉数の戦い」と呼ばれる激戦の舞台だった。

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京都の塔と嘉数の塔。嘉数では京都府出身の将兵2,530名余りが戦死した。多湿のためレンズが曇ってしまったが、この場の空気感を出したかったのでそのまま撮影した。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/250 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:42mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:18.48MB

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モノクロームにし、専用現像ソフトでフイルムグレインを荒くし、激しい戦闘を戦ったコンクリート製のトーチカの質感を強調した。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM | Art | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:200 | ホワイトバランス:モノクローム | シャッター速度:1/125 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:24mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:4128 × 6192
ファイルサイズ:24.21MB

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沖縄戦で多くの犠牲者を出した嘉数(かかず)に建つ展望台から普天間基地を望む。多湿により霞んでいたがオスプレイがはっきりと見えた。

使用機材:SIGMA sd Quattro H + SIGMA 100-400mm F5-6.3 DG OS HSM | Contemporary | 露出モード:M-マニュアル露出 | ISO感度:100 | ホワイトバランス:晴れ | シャッター速度:1/500 秒 | 絞り値:F8.0 | 焦点距離:153mm | ファイル形式:JPEG | 画像サイズ:6192 × 4128
ファイルサイズ:14.40MB

聖地の多い沖縄本島で、旅の最後の方に沖縄戦の跡を訪ね米軍基地にレンズを向けた。琉球王国に関係がある絵になる光景だけ撮影する方がまとめやすかったが、気になかった場所に行き、その場所の空気感を切りとったことで沖縄への理解が増したと思う。

※ このページに掲載された作品は、RAWデータ(X3F)を「SIGMA Photo Pro」で現像処理をしたものです。
一部、現像後にゴミ取りのためにレタッチソフトウェアを使用した画像もございます。

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